日本語で話しましょう

誰かの役にたちますように。フランスより愛を込めて。

私のスマトラ沖地震

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

初めての子供で 予定日は翌年2005年の1月12日だった。

 

 

12月25日 クリスマスパーティを大きなお腹で友人たちとした。

 

ある友達が 「出産するときの荷物用意した?」と聞くので 

「ある程度はしたけどまだちゃんと終わってない、でも予定日まで まだあるし。」と答えると 「ちゃんと用意したほうがいいよ、だって明日は 満月だし。」と真剣な顔で言われた。

 

ちょっと気になり 出産用の荷物をチェック、用意する。

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パーティも楽しく終わり 次の日 12月26日。日曜日。

 

その頃は カリブ海の小さな島に住んでおり 旦那の友達が うちに滞在していた。

午前中はゆっくり過ごし 「今日は何する??ビーチに行く?」と相談していたら

なんだか お腹が痛い。

 

えっこれが 陣痛かなぁ何て思ったけど 周りの人が めちゃくちゃ痛いといっていたので こんなもんではないだろうと思い やり過ごしていた。

数時間が経ち やはり 痛い。でも 我慢できるレベルだ。

 

みんなは ビーチに行く気になっていたが 旦那に「ねぇ お腹が痛いんだけど。

違うと思うけど 念のために 病院行っておくわ。」といって すぐ近くにある 病院に送ってもらった。

 

あいにく 少し待ち時間があり その間にも 痛みは 少しづつだが 確実に強くなる。

 

やっと 私の検診になり 助産婦さんに 「お腹が痛いんです。耐えられないレベルではないけど、結構痛いです・・・・」といい 診てもらう。

 

「あらー 我慢強いわねー!! もう子宮口が7センチ開いてますよー。」最大で約10センチです。

「えっあの無痛分娩は・・・・?」

「そんな時間はありません。」

 

「旦那さんは?」   「家です。」

「荷物は??」    「家です!!」

 

ということで 助産婦さんが家に「もしもしー奥さん もう出産しますんで

荷物を持って 病院にきてくださーい。」 と電話をしてくれた。

 

あせりまくって やってくる 旦那。笑

 

それが 多分午後2時半過ぎで 結局 息子が生まれたのが 午後3時57分。

もう少し早くても良かったのだが 息子の頭が結構大きく すっとは出てきてくれなかった。

日本語で いたいいたいいたい!!という私。

助産婦さんが 付き添っている旦那に「なんて言っているの?」と聞きそれを 翻訳する旦那・・・・。笑

確かにめちゃくちゃ痛かったです。

それでも すごく安産でした。娘の時はさらにめちゃ安産、もう少しで 車の中で出産しそうになるほど スピーディでした。笑

 

その頃は 病院にいる時間がそんなに長くなく 水曜日の朝には 病院を退院させられた。

 

家族が周りにいないので 旦那と2人のみでの初育児。

でも 息子がかわいくてかわいくて 大変だ、辛いと思ったことはない新生児・乳児期でした。

 

3−4日ほどたち 友人が赤ちゃんを見に来た、リビングでテレビがついていたのでみると 凄まじい光景の映像。

 

「何これ??なんかあったの?」

 

「知らないの?タイのほうで地震があり すごい津波があったんだよ。」と友人が教えてくれた。

 

新生児に時間を取られすぎて テレビなんて見てなかった私は 知らなかったのだ。

旦那もなぜか 何も言ってなかったし。

 

あれだけの 地震津波を起こすには 満月どころではないすごいエネルギーが地球で作用したに違いない。

赤ちゃんもお腹から引っ張り出されるわけだ。となんだか 妙に納得した私だった。

 

 

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息子が産まれた時 それと同じ時に たくさんの方々が被害に遭い命も無くしてしまった。

 

うまく言葉にはできないけれど 生死、繋がり、エネルギー、宇宙を感じた私の記憶に残っているあの日です。

 

最後に被害者の方のご冥福をお祈りします。