日本語で話しましょう

誰かの役にたちますように。フランスより愛を込めて。

最近の独り言

またまたサボっていました。

お久しぶりです。

 

夏休みも終了、息子は 高校3年生の新学期がはじまり、娘は ホームスクールでの中学校1年生がはじまりました。(フランスでは小学校が5年間、中学校が4年間。)

 

 

 

実家の両親とは 1週間に一回ほど顔をみてチャットをしています。便利な時代です。

母とは 気がついたら2−3時間話していたということもあります。笑

 

そんな中 先日コロナに関して 日本とフランスの温度差を感じました。

 

フランスでは 数ヶ月前から 公共の乗り物の中でもマスク着用が義務ではなくなり

マスクをしている人を 私が住んでいる片田舎では見かけることがほとんどありません。(都会では どうなのかは わかりませんが)

 

布マスクもしまってどこにあるのかわからない。 ニュースでもウクライナの戦争の話や ガソリンや物価の値上がりの話はあっても コロナ感染者数の話は全くなし。

 

だから先日 母が 週2回の体操にマスクをつけて参加しているということにびっくりしてしまいました。

義務ではないのだけど しているのが普通になってマスクを外すことが怖い。らしいです。 

フランスが マスクなしの生活になって なんか日本もそうなのだと思っていたら 違うのだなと。

お盆で 弟と甥っ子が戻ってきていた時も 家の中で母はマスクしてるし。

 

個人の考え方、理由があるので 私は母には何も言いませんし マスクをしていることでそんだけ安心できるならば つけたらいいとは思うんだけど、 何よりこの 普通

が私には 気持ち悪い。

 

 

 

以前から 度々思うのですが’普通って何?

日本語でもフランス語でもなるべく 普通は とかいう言葉は使わないようにしています。

 

だって 普通とはその人の環境や考え方などなどで作られた個人的なものであり 世界共通ではないから。

 

普通とは個人が作りあげた壁だとおもう。

 

私はその壁を取っ払おうともがいている、でも 長年かけて作りあげた壁はなかなか取っ払うことは難しい。

 

一部を壊せたと思ったら、次の日には自分で 無意識に修理してしまっている有様。

 

こうあるべき、これはしなければいけない、それが普通 を乗り越えたいんですが。

 

 

 

 

身体と心は繋がっています。マスクをつけようが つけまいが 兎に角 ご自愛ください。